この5年間いろんな場面で私の背中を押してくださる貴重な存在だった。
― Itoさんがいなくなって1年。
「Itoさん、どうしてはんの?」と、まだ時々耳にすることがある。
― Itoさんがいなくなって1年。
「Itoさん、どうしてはんの?」と、まだ時々耳にすることがある。
たぶん私はItoさんの人生の最後の方までお話できた一人のような気がする…
Itoさんのことを知りたい方に少しでも伝われば~
書き残しておこうと思います。
書き残しておこうと思います。
Itoさんはベースに限らず色んな楽器を研究しつくされていた。
ご本人のモットーなのか私らのような若輩者に対しても全く境界線がなく、
ほんとうに気さくに様々なことを教えてくださった。
Itoさんと初めに出会ったのは5年前の神戸。
歌が苦手だった私がジャズボーカルのレッスンに挑戦していた頃、
そのバックバンドでのベースが Itoさんだった。 なんとゼイタクな!
それは今でも忘れない、大っ恥のお初ステージ・・・。
私は緊張のあまり小節もすっとびメロディもどこへやら~ 歌詞の朗読状態。。
必死でバンド演奏にしがみついていく私の姿を見て
Itoさんは クスクス笑いながらも演奏をやめずにずっとつきあってくれた。
帰り際、Itoさんはひと言 :「よう最後まであきらめんと歌ったな。」
帰り際、Itoさんはひと言 :「よう最後まであきらめんと歌ったな。」
こちらこそ「よう最後まで呆れんとおつきあいくださいました」・・・
それ以来 Itoさんのライブによく足を運んだ。
Itoさんはソロではフレーズを口ずさみながらベースを操る。
まるでギターをタテにしたような速弾き。
まるでギターをタテにしたような速弾き。
SAXやボーカルのフロントがいても、毎回ひときわ目立つベース!
ライブの後お客さんがひいてから「デュオでやってみよか!」 と
私に声をかけ練習する場を作ってくれたこともあった。
今では恒例に月イチおじゃましている西九条・マーシーオーガモンの
ご一緒させてもらい場数を踏ませてもらった。
そして Itoさんが他界される3週間前の今日・・・
Itoさんから
「実は身体障がい者さんの音楽隊を作ってんねん。一緒に手伝ってくれへんか」
っとお誘いがあり、見学に行かせてもらった。
Itoさんはライブミュージシャンだけでなく、何年も前から福祉関係の場所でも
活動されていたと、その時 初めて知った。
活動されていたと、その時 初めて知った。
ベースではなくピアノでを伴奏をして合奏を指揮する。
「みんな楽器持ったかー? ほな、『春よこい』 いくで~」
♪♪はーるよ来い、はーやく来い・・・
手が思うように動かない利用者さんたちに近づき、鈴やタンバリンに手を添えながら
手が思うように動かない利用者さんたちに近づき、鈴やタンバリンに手を添えながら
大声でいっしょに歌っている姿が本当に本当にすばらしかった。
その音楽隊を私が引き継いで約10ヶ月。
Itoさんの遺品のパーカッションを利用者さんたちは毎回楽しそうに叩いている。
もうすぐItoさんの一周忌。翌日の
◎3月13日日曜日20時~
◎3月13日日曜日20時~
マーシーオーガモン・バンドでItoさんの追悼ライブがあります。